子どもの発達でこぼこを受け入れることの大切さ!まだ“普通”を求めますか?
息子の発達凸凹の可能性を指摘されてから、わたしは専門家から学び、たくさんの本を読み、十年あまりが過ぎました。
親としてできる限りのことをして来たつもりでしたが、もっとも大切なことに気づいたのは、つい最近のことです。
それは・・・・
子どもに「発達凸凹の特性がある」という事実を親が受け止めることだと思います。
親なら誰もが、我が子に対して思い描く理想があるのではないでしょうか?
学校生活を頑張ってほしいとか、せめて「普通」に元気に育って欲しいとか、あると思います。
競争社会の中にあって、みんなと同じかそれ以上でないといけないという、世間の価値観に、振り回されてはいないでしょうか?
私は親として、自分の思い込みを子供に押し付け、間違った方向性を与えてしまったことをとても後悔しています。
今日は親の思い込みを捨てて、子どものありのままを受け止めることの大切さについてお話します。
「普通」をやめて「特別」であると認めよう
「普通」って何でしょうか?
ふつう(普通)
いつ、どこにでもあるような、ありふれたものであること。
他と特に異なる性質を持ってはいないさま。
対義語:特別
辞書の定義に、「ふつう」というのは、他と特に異なる性質を持っていないさまとあります。
対義語は「特別」です!
子供に発達でこぼこの特性があるのなら、その子は他と特に異なる性質があるのです。
私は「普通」であることに囚われていたため、息子の苦手に対して「このままではダメ!」とダメ出しばかりしていました。
でも、他の誰かになるなんてできませんよね。その子の個性はその子だけのものなのです。
子供が「特別」であることを認めましょう。たとえるなら、うちの子は既製品ではなく、オーダーメイド(特注品)なのです。
目指すのは「普通」ではなく「特別」

私は熱心に発達障害について勉強し、ペアトレなどにも参加して学んでいましたし、息子の発達特性を受け止めている方の親だと思っていました。
でも、どこかで「うちの子は普通に、何の問題もなく大きくなる」という思い込みを捨てられませんでした。
発達でこぼこはあるけれども、個性を認めてもらえる環境だったら、上手く適応できたかもしれません。
息子にとって合わない環境で、適応障害が出てくるところまで頑張らせてしまったのです。
不登校や昼夜逆転、家の中の破壊や暴力を通して、彼は限界であるとアピールして来ました。
それは私たち家族が、目を覚ますためのきっかけだったとしか言いようがありません。
「普通」に学校に行って、「普通」に就職する!というような親の幻想が壊されることが必要だったと今では思います。
何も劣っていない、ただ特別なんだ
2017年、ある外国の先輩お母さんに悩みを相談したことがあります。
彼女の娘さんにはLD(学習障害)がありました。娘さんご自身が劣等感と戦ってきた経緯がありました。
娘さんの特性と向き合い、学び、親子で取り組んできたそうです。
現在、娘さんは米国の大学院で学び、自分のように発達障害で苦しんでいる子供たちを助けたいという夢を持っているそうです。
「子供は何も劣っていない。ただ特別なんだ(Nothing Less, just special.)」
とそのお母さんは話してくれました。
その言葉は、初めはしっくりとはきませんでしたが、後から何度も噛みしめる言葉になりました。
発達でこぼこ特性を持っていると、それがまるで欠陥であるかのように感じていませんか?
正直にいうと、私は発達でこぼこは欠陥だから直さなければならないとネガティブに考えていました。
けれども・・・先輩お母さんからの言葉はポジティブでした!
でこぼこの特性は、人生に与えられた特別なギフト!
そんな子どもを授かった親も特別なギフトを与えられている!
このポジティブな考えを教えてもらったのが転機となり、私は息子のありのままを受け止めると決心できたのです。
みんな発達でこぼこ=特別です!
発達でこぼこは実は誰にでもあります。
「普通」という枠を押し付けることによって、生きずらい「障害」が生まれるように思います。
もう「普通」を目指すのをやめませんか?
みんな「特別」なのです。唯一無二の「特別」を目指しましょう。
まずは、ありのままの子供を受け入れると決心するところから始めましょう!